スタジオ イケダ 代表 池田 裕子様
胎内市内の国道7号沿いにて 4代目としてスタジオ(写真店)を営んでいる。
現在は、従業員二人と3名で運営している。
初代は、北海道で撮影の修行をして店名を『写真館』として始めた。
その後、2代目が体調を崩されて若くして亡くなられたのがきっかけで、
遠い親戚である実父が3代目として後継者となった。が・・・
実父は何も分からなかったので、ある写真店にて修行して仕事を覚えていった。
代表は仕事を継ぐ前に、写真大学に通っていた。
その写真大学を卒業して家に帰ってきた当時のことで、
仕事の大半は地元で腕の良い美容師さんとタイアップしての婚礼写真の撮影。
他には、学校の卒業アルバム作成やスタジオの記念写真、婚礼の多い
春、秋以外はとてものんびりとした営業内容だったが、売上げも順調に
伸びていった。
やがて、実父より仕事を認められて4代目として代表を任されることとなる。
ちょうど、写真が白黒からカラーに変化する頃だった。
当時は、女性カメラマンが珍しかった。
まだ男社会の中、引き継いでからは大変の連続だったという。
代表は言う。
「学校の修学旅行に同行させてもらう時に、同業者も必ず4~5人は居る。」
「同業者は男性ばかりで、宿泊先の部屋も一緒だった時は一人で廊下に寝た
こともある。」「気軽に話すことが苦手だったので、同業者とはもちろんお客様
ともなかなかうまくコミュニケーションが取れなかった。」
そんな中、資格を取得して努力し、技能グランプリに新潟県代表として出場。
全国3位に輝いた。とてもうれしかったという。
努力も実り自信にもつながり、いつのまにかコミュニケーションも取れるように
なっていたという。
しかし当時、高度成長期も終了するころ、
今で言う“団塊の世代”の地元での婚礼が激減。今現在も婚礼は少ない。
そんな時には卒業アルバムの作成や旅行の同行する仕事や商品の撮影、
スタジオ撮影、その他にも色々な仕事を探して売り上げに繋げたという。
時には近所の方から、「いいわよね~、毎回旅行に行けて。」
と言われたこともあったという。
代表は、「皆さんは勘違いしているのよ。私は撮影の仕事で行っているから、
のんびりと風景を観ている暇はない。観ているのは子供たちの顔だけ。」
「仕事絡みとなると、のんびりと風景を眺めていれないし、音楽の演奏会でも
写真を写していると曲はあまり聞こえていない」という。
代表の好きな言葉は・・・『一生懸命』『その人らしい写真を撮る』
「何事にも絶対は無い。撮る時も終わる時もタイミングがある。」
何をするにしても、中途半端では終われないという。
それは、仕事にも表れている。
「人間を撮影する時は、その人の一番良い角度やタイミングがあるんです。」
「一人として同じ人が居ないので、良い写真が撮れるまで撮らせてもらう。」
だが、お客様の顔を見ながら「疲れてきたかなぁ」のタイミングで終了するという。
お客様には『良い写真を!』と思う反面、『付き合わせてすみません』とも
思っている。特に、『七・五・三』の撮影は大変だという。
「風景も場所や環境によって撮り方は違うけど、写真は“光”の絵だから
その一枚を撮るために、その“光”を探したり“光”を待っていたりする
忍耐やひらめきが必要。」
但し、その日満足した写真を撮れたとしても、
「もっとこうしたら良かったとか、その道(写真家)の上にはいっぱいいるので、
自分の中での“完全”は永遠にない。」のだという。
代表に聞いた。プロのカメラマンとは・・・
『一生懸命にお客様に信頼してもらえる仕事をする。』
『自分が納得するまで“その人らしい”、その“光”を見つけて撮り続ける。』
私は思った。
代表が良い写真を追い続ける限り技術の向上は止まらない。